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江戸の俳諧師達

烏山八景碑
 那須烏山市の旧烏山の市街地を抜けて旧294号線を山裾沿いに北へ向かう。烏山高校を右に見ながら
1キロ程行くと左側に山崎園芸店という店があり、その北側の細い山道を乗ったところが東江神社である。   看板も無いし烏山滝田天満宮とも東江神社ともいい、存在自体が解りにくい。
しかしながら此処に書かれた碑文は烏山の文化度を示す並々ならぬ例証である。ここに記されているのは江戸の俳諧史を語る上で欠かせない俳人たちの八句である。碑文自体劣化し判読し難い状態だが、名筆である。私の叔父は拓本を採っていた。
早野巴人はここ烏山の生まれであり、幼少で江戸へ出、蕉門基角嵐雪の門下生となる。この烏山天満宮に烏山八景を奉納したのは巴人27歳の時だというから、すごい。また与謝蕪村の師匠で知られるが蕪村が26歳の時巴人は67歳で亡くなっている。師亡き後、蕪村の結城、下館時代約10年間は夜半亭の先達砂岡雁宕の援助によるが、江戸時代の江戸と京都の往来はもとより、こうした地方拠点への俳諧同社の浸透交流は想像を超える。我々現代人には羨むべき人情厚きものがある。この巴人の人脈の錚錚たる様を偲ぶ縁をこの烏山八景は語っている。巴人以外ここに詠まれた地を実際に訪れて歌ったという証拠はない。所謂写生句では無い印象がある。恐らく巴人が故郷の素晴しさを語ったのではあるまいか。そしてそれに答えた俳人たちの想像力を褒め称えるべき句なのだ。もしくは別の見方として、この294号線はもう少し北へ辿れば、かって西行がうたい、芭蕉が訪れ、後に蕪村も詠んだ那須黒羽へ至る筋道である。また巴人の友人常盤潭北も江戸で修行した医者であり、夜半亭の門人達と親しく帰郷後も烏山で俳諧を嗜んだエリートである。存外烏山は「知る人ぞ知る」名勝地として知られていたかも知れぬ。
。a href="http://blog-imgs-17.fc2.com/s/a/i/saito702/IMG_0956.jpg" target="_blank">烏山八景1
烏山瀧田天満宮



 
鶯の氷らぬ声や朝日山     其角
中川やほうり込んでも朧月   嵐雪
独活蕨凡木こる日や比丘尼山  専吟
赤垂に猿の手ほしや底雲雀   翆風
花の夢こころ恥かし五郎山   渭北
大沢や入日を返すきじの声   柏十
その原や朧の月も興野山    湖十
水聞の水の動や家桜      巴人
 
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テーマ : 歴史雑学
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 江戸の俳諧士

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